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【静岡】二俣城(2)~ニの丸・西郭・北郭。。。その他周辺。

20080705_small_2maru.jpg次はニの丸へ!二俣城には、それなりの遺構が残っていておもしろい。






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【静岡】二俣城(1)~本丸

20080705_small_hutamajyou.jpg二俣城は、天竜川と二俣川の合流する地の丘陵上にある。日本城郭大系によると、最初の城主は今川総五郎(今川氏)の幕下・二俣近江守。今川氏真時代は松井氏が城主となる。今川氏衰退後は徳川氏が攻略し、鵜殿氏長が城主となる。その後、武田信玄の近江侵攻に備え、家康は中根正照が主将として入城した。しかし、水の手を押さえられ、武田氏に降伏する。武田信玄はこの城に依田信守・信蕃父子を守将とし、武田方の城として続く。
長篠合戦で武田氏が敗れると、家康はこの城を包囲して奪還し、大久保忠世を城将とした。天正18年、二俣城は大久保氏が小田原城主に封ぜられ、廃城となった。
また、二俣城は、天正7年、織田信長から謀反の疑いを受けた徳川信康が自害した城でもある。

場所:天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅から徒歩15分。
引用&参考:日本城郭大系「静岡・愛知・岐阜」、

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仙台城②大手門~中門

20071224_small_ootemon.jpg大橋を渡り、侍屋敷跡・三の丸をすぎ、坂道を登って行くと、左手に隅櫓、右手に多門塀が見える。隅櫓を本丸に向かって曲がると大手門だ。隅櫓は復元された建物である。

参考・引用文献:日本城郭大系

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仙台城①~侍屋敷・三の丸

20071224_small_yashiki.jpg仙台城は、日本城郭大系によると、伊達政宗が家臣の山岡志摩を家康の許に派遣して仙台城普請の許可を受け、慶長5年(1600年)12月、正宗自ら城普請の縄張り始めに行われ、2年後の慶長7年5月に完成されたと言われる。仙台城は、青葉山の地形をうまく生かした天険の地にあり、東側は広瀬川に臨んだ断崖に背後の南側は竜ノ口沢・北の大深沢をつないだ深い谷がめぐっている。

場所:仙台駅を降りて、青葉通りを西にまっすぐ進み、広瀬川にかかる大橋を渡る。仙台駅から徒歩30分程度。
参考・引用文献:日本城郭大系

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【我孫子】柴崎城址

20070818_sibasaki_small.jpg柴崎城の城主は、東国戦記実録では荒木三河守とされているが、はっきりとした記録は残っていない。日本城郭大系によると、戦国時代には小金城の高城氏の支配下にあったのではないかとの記述がある。
さて、柴崎城の遺構は全く残っていない。昭和40年代初めの宅地造成前は、3郭で構成された城郭であったようだ。柴崎神社付近が城址位置になる。我孫子市教育委員会の「我孫子の史跡を訪ねる」によると柴崎神社と隣合う円福寺の裏手の道路が空堀跡だそうだ。
なお、柴崎神社は、歴史がある神社であり、平将門の祈願所とされたいた。当時は、妙見社と呼ばれ、千葉氏一門の守護神として崇められてきた。伝説では、柴崎城主荒木三河守が社殿を改修し、この神社で武運を祈ったとある。千葉氏と何らかの関係がある神社ではある。

場所:我孫子市柴崎字城根。天王台駅から徒歩15分。
参考引用文献:日本城郭大系、我孫子市教育委員会・我孫子の史跡を訪ねる

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【柏】増尾城

20070818_masuojyou_smallRIMG0035.jpg増尾城は、柏駅の南東3kmの位置にある舌状台地上にある。増尾城址公園として整備されており、当時の土塁・空堀・2つの郭が明確に残っている。
日本城郭大系によると、増尾城の築城は、南北朝時代にさかのぼり、城主は、相馬氏の所領だったことから、相馬師胤ではないかとされている。戦国期は、松戸市大谷口にある小金城・高城氏の家臣・平川若狭守が城主であったとされている。平川氏は、豊臣秀吉の小田原遠征時は北条方についた高城氏ともに小金城に籠城したという。
この城の目的は、街道が交差する陸上交通の結節点を抑えるためだったといわれている。

場所:増尾城址公園。柏駅から徒歩40分。
引用・参考文献:日本城郭大系、東葛の中世城郭、柏市増尾城址発掘調査報告書

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【柏】小金原の野馬除土手跡

20070814_nobadote_small.jpg柏にある日立サッカー場の近くに小規模な土塁が残っている。最初は増尾城と関係がある遺構かと思ったが、城址とはまったく関係がないことがわかった。土塁ではなく、野馬除土手の跡である。
野馬除土手とは、野馬(野生の馬)が、馬牧(牧場)の外に逃走し、民家に侵入したり田畑を荒らすのを防ぎ、野犬などの害獣の侵入を防ぐために、馬牧を囲むように作られた土手の総称である。馬牧の起源は、中世にまでさかのぼり、当時、房総で栄えていた千葉氏が軍馬育成のために牧場を作ったものによる。安房国には白浜牧、錺師牧があり、上総には大野牧、下総には高津牧、大結牧、本島牧、長州牧があったと言われる。房総は、一大軍馬の産地であったらしい。
江戸時代になると、徳川吉宗の牧改革により、幕府直轄による小金牧、佐倉牧、嶺岡牧があったという。
柏は、上野牧の中にはいっており、この野馬除土手は、外周の土手にあたる。野馬土手の名前にある「小金原」とは、千葉氏の時代は、この辺の原野をそう呼んでいたことによる。

場所:柏市あかね町。日立柏サッカー場がある公園入口の交差点にある。
参考引用文献:千葉県教育委員会・県内遺跡詳細分布調査報告書「房総の近世牧跡」、柏市・市内遺跡発掘調査報告書

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【松戸】小金城(2)~達磨口

20070805_small_daruma.jpg金杉口からJR北小金駅方面へ進むと、大倉記念病院が見える。その脇にある小山が達磨口跡だ。






※達磨口にある縄張り図。クリックすると拡大します。
20070805_kogane_nawabari.jpg



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【松戸】小金城(1)~大谷・金杉口

20070805_small_kanasugi1.jpg小金城は、松戸市大谷口のほぼ全地域がすっぽりとおさまる巨大城郭である。日本城郭大系によると、1460年に栗ケ沢に高城氏が定着し、根木内に城を築き、天文6年(1537年)にこの地に城郭を築いたのが始まりらしい。当時は、大手口、達磨口、金杉口、横須賀口、大谷口の5つの虎口があり、今は、金杉口と達磨口が残る。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めによる浅野氏による攻撃で落城する。
城址としては、宅地化でほとんど消滅しているが、松戸市大谷口の起伏に富んだ地形や、丘・道路(堀跡ですかねー)から、城郭都市としての往時を感じることができる。縄張り図をもって、周辺を歩き回るだけでも楽しかった。(^_^) 唯一残る、金杉口・達磨口には、土塁・空堀が残っており、特に、土塁の巨大さには、当時の巨大城郭の雰囲気が楽しめる。

参考引用文献:日本城郭大系
場所:松戸市大谷口。総武流山電鉄「小金城址駅」下車。大谷口歴史公園を目指す。達磨口は、大倉記念病院のそばにある。

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プロフィール

duckhouse

Author:duckhouse
私は取手市に住む地元とアントラーズを愛するものです。歴史にお城も好きだよ。

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