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取手の坂道(4)~さくら坂、雁耕坂、治助坂

取手の坂JR取手駅前付近にある3つの坂道に名前がついている。
東口からカタクラショッピングビルの前を通って台宿へ登る坂は、「さくら坂」と最近名づけられた。由来は、近くに千葉県佐倉市へ通じる佐倉街道があることによるそうだ。同じ東口から居酒屋の脇を通って取手一高へ登る坂は、「雁耕(がんこう)坂」。これは、当時、この辺が雁耕地と呼ばれていたことによる。雁耕地とは、谷津田だった頃、「雁が稲穂を摘んでいる姿が、田んぼで耕しているように見えた」 といういわれによるものである。また、西口から、井野台へ登る坂は、明治時代から「治助坂」と呼ばれているそうだ。由来は不明らしいが、小文間の坂同様に、坂の中腹に、治助氏の屋敷があったことに関係するのだろう。

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取手の坂道(3)・小文間編~勘右エ門坂、直右エ門坂、四郎右エ門坂

勘右エ門坂小文間・中妻から渋沼に通ずる坂は「勘右エ門坂」と言われていた。坂の中腹に「林勘右エ門」の屋敷があったことに由来する。この林氏は、小文間を治めていた一色宮内の家臣であったそうだ。
この他にも、人の名前がついた坂がいくつかある。小文間城址へ通ずる坂は、「直右エ門坂」と言われていた。坂の中腹に、海老原直右エ門の屋敷があったことに由来する。また、小文間小学校から利根川に通ずる坂は、「四郎右エ門坂」と言われていた。坂の終わりに、倉持四郎右エ門の屋敷があったそうだ。海老原氏、倉持氏が一色宮内とゆかりがあるかはわからない。

参考文献:取手町郷土史資料集Ⅱ

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取手の坂道(2)・小文間編~「宗四郎坂」

宗四郎坂小文間の有名な坂である「宗四郎坂」。この人の名前がついている坂の由来には興味深い話がある。宗四郎とは江戸時代初期から明治時代にかけて小文間で代々名主をつとめた「斉藤宗四郎」のことである(斉藤家の当主は代々、「宗四郎」という名乗りを世襲した)。斉藤家は、小文間新田の開発と岡堰設置の功があった名家とされ、永代名主として明治まで続いた。
この斉藤家の小文間入りには驚くべき伝説がある。斉藤家の祖は、美濃ノ国を治めていた斉藤道三であるという。斉藤家は龍興の代で敗亡し、離散後、徳川秀忠の時代に、龍興の子の秀政が小文間の地に流れ着き帰農したのが始まりであるという。

小文間の坂にはこのような由緒・由来があっておもしろい。

参考文献:取手市史、取手町郷土史資料集Ⅱ

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取手の坂道(1)・小文間編~「馬坂」

馬坂取手市には坂道が多い。自転車で取手市内を散策すると、この坂道の多さに閉口してしまう。去年の話だが、自転車で坂道を下っていたら、「ブレーキが突然壊れる」というとても怖い目にあったことがある。なんとか危地を脱して(笑)、自転車屋さんへブレーキを修理しに行ったわけだが、そこの店主いわく、「取手市内は坂道が多いので自転車は傷みが早い」と言われたものだ。坂道が多い取手市では、さぞかし、自転車屋さんは繁盛してることだろう(笑)。
さて、市内のたいていの「坂道」には名前がついており、歴史的な由来があったり、名勝だったりするのでおもしろい。そんなわけで、取手市内の代表的な「坂道」をいくつか紹介したい。まずは、小文間の「馬坂」。取手市中心部から小文間台地に登って行く坂道がそうである。名前の由来は不明ではあるが、坂道が急で「馬」の名前がつくことから、江戸時代の頃のこの坂道は、「馬にとって辛かった」ってのが名前に関係しているかもしれない。。。と勝手に想像してしまった。(^_^;
なお、馬坂には日本百景の碑がある。

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duckhouse

Author:duckhouse
私は取手市に住む地元とアントラーズを愛するものです。歴史にお城も好きだよ。

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