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小文間の宗四郎坂古墳

宗四郎古墳「宗四郎坂古墳」は小文間にある有名な古墳である。「宗四郎坂」とは坂の名前であり、古墳がその坂の近くにあるためにこの名前が付いている。古墳の形式は、かろうじて円墳に近いが、すでにかなりの土取りをされているため、原形がわからなくなっている。
なお、この古墳の正体ではあるが、平成13年にこの古墳の調査が入ったときには、古墳時代(6~7世紀)の遺物・痕跡が見られなかったそうである。調査報告書は次のように結論づけている。「小文間には中世関連の施設が多いことから『中世における供養塚』と推定される」

宗四郎坂古墳の場所は、取手市小文間5378-1付近。

参考文献:取手市遺跡発掘調査報告書

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小文間・利根川堤防付近にある謎の古墳

謎の古墳小文間城址付近にある船着場を探していたら、たまたま見つけた古墳らしきもの。小文間の利根川堤防沿いに古墳(しかも巨大!)があったなんて知らなかったのでびっくり。でも。。。これはどうみても古墳だよなー(^_^; 全長50m以上の前方後円墳だ。周りは太い針金で囲われ、自治体による「立入禁止」の札が立っている。
取手市史にも記述がないし、取手市の遺跡発掘調査報告にも出ていなかった。発掘待ちなのだろう。たぶん。



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大日山古墳

大日山古墳大日山古墳は、岡城址の主郭にある。方形状の古墳。底形13m×17m、上形5m×5m、高さ3.3mとなっており、古墳の上には岡神社が建っている。古墳が作られた時期と被葬者は不明。中・近世に盛んになった大日信仰のおり、それにちなんだ板碑や仏、祠が古墳周辺に並べられた。「大日山」の名前は、それからきている。

場所は、取手市岡字台畑。

参考文献:藤代町史
参考サイト:取手市ホームページ

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仏島山古墳

仏島山古墳岡城址(岡神社)がある岡台地のふもとに仏島山古墳がある。古墳の形は円墳。6世紀頃の古墳であると推定されている。被葬者は不明。以下、説明板の文章をそのまま掲載する。
「美しい円墳で墳丘も高かったといわれるが、過去二回にわたって古墳の土砂を採取したので、その形状は明確には判明しない。しかしながら、周囲の状況から判断して、これは径約三十メートルの円墳と推定される。また、遺物の出土状況から判断してこの墳丘は埴輪円筒をめぐらし、その上を美しい埴輪で飾った整然たる古墳であったと想像される。本古墳の築造年代は六世紀(今より約1400年前)のものである事が判明した。
なお、明治28年学校敷地造成のため、土砂を採取した際に、石櫛・骨片・刀剣・曲玉・鉄鏃・埴輪・埴輪円筒等出土したが、この多くは現在の国立博物館に納入された。
また、昭和八年岡堰改良工事のため土砂を採取したとき、埴輪四、円筒埴輪七を出土したが、それ等は国立博物館に納入してある。
本古墳に仏島山の名称がつけられたのは、古墳の周囲には堀をめぐらし一大島状をなしていたが、その後、中世になって墳丘上に仏像や石像が建立されてから仏島の名が出たものといわれる。」


仏島山古墳は取手市岡1176付近にある。

参考サイト:取手市ホームページ

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市之代古墳群

市之代古墳取手市最北端にある市之代地区に古墳群がある。小貝川にかかる稲豊橋の周辺に15個の古墳が点在しているのだ。これらの古墳が作られた時期は、「市之代古墳群第3号墳調査報告書」によると、5世紀後半から6世紀中葉あたりであるらしい。
「調査報告書」にある3号墳は前方後円墳である。ここからは、埴輪円筒棺が出土した。副葬品には、土師器、人物形埴輪、馬形埴輪があったとのこと。
なお、被葬者は、埋葬状態が粘土床か溝を掘って埋葬した程度のものであることから、中産階級の人物であるらしい。

参考文献:市之代古墳群第3号墳調査報告書


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プロフィール

duckhouse

Author:duckhouse
私は取手市に住む地元とアントラーズを愛するものです。歴史にお城も好きだよ。

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