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【松戸】松戸城(徳川昭部戸定邸)

20070804_small_matudojyou.jpg松戸城は「戸定」の丘にある。日本城郭大系によると1465年に千葉氏一族の原信濃入道とその子の八郎が上杉氏に対して立て篭もったのが最初とされるようだ。天正十年(1582年)当時は、小金城主高城胤辰の一族高城筑前守が城主となり、江戸時代は、徳川氏の旗本知行地となった。今の松戸城は、徳川昭武が明治時代に建設した館「戸定邸」になっており、往時の城郭の雰囲気はわからなくなっている。城郭大系によれば、空堀や土塁が残っていたそうだが、私が訪問したかぎりでは、見つけることができなかった。

参考引用文献:日本城郭大系

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【大分県】大友館

20070610_ooitakan_small.jpg大友館は、上野ケ丘の台地上の北東側(大分駅方面)に位置する。上野ケ丘高校の正門の手前の道を左手に曲がった所にある大分上野郵便局の先を左に曲がったところがそうである。遺構としては、土塁が残っており、その上に「西山城大友屋形址」の石碑が建っている。日本城郭大系によると、大友氏第9代氏秦のときに古国府の館をこの台地上に移し、一族近親の住居にしたのが始まりらしい。天正19年(1550年)に、第20代大友義鑑がこの館で殺された(二階崩れの変)事件が起きた。

参考文献:日本城郭大系

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【利根町】布川城

20070506s_horikiri.jpg布川城は佐竹街道・鎌倉街道の要衝にあり、利根川の水運ににらみを利かす台地に立地している。城址説明板によると1244年に豊島氏がこの地(利根町)に入ったのが始まりであり、築城は、1519年のことらしい。豊島氏は布川城を根城に周りの村々を従えて勢力を誇った。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた際に、北条方についた結果、北条氏とともに敗亡した。当時の城主豊島氏は北条氏直とともに高野山に入ったと伝えられている。

参考文献:図説茨城の城郭、日本城郭大系。

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小文間城ノ内(2)~再訪。天神社の跡を確認し、「城ノ内」の地名の名残を発見。

20070504_omonmajyounouchi_small.jpg時間ができたので、小文間城ノ内を再訪した。過去に訪問済みではあるが、詰の丸があったとされる「天神社」の場所が今ひとつ特定できなかった。美浦村お散歩団のページに、天神社の場所が掲載されていたのを参考に行ってみることにした。

参考サイト:美浦村お散歩団


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決算で忙殺されているため、しばし更新を停止しています。

表題の事情により、更新する時間がありませぬ。。。
しかし、落ち着きつつありますので、そろそろ復活します。

鮭地蔵

鮭地蔵利根川河川敷堤防の草むらの斜面にお地蔵さんがたっている。場所は、利根川鉄橋から100mぐらい下ったところだ。このお地蔵さんの正体は「鮭地蔵」。なぜ、「鮭」なのか?実は、江戸時代、利根川では鮭漁が行われていた。利根川図誌によると、鮭漁は、毎年7月下旬から10月下旬の間で行われており、小文間あたりで獲れる鮭が極上のものだったらしい。
この鮭地蔵の由来はわからないが、鮭の供養を目的として建てられたのかもしれない。
余談ではあるが、鮭地蔵がある付近には、竹村河岸があった。当時の有力商人である「竹村穀屋」が開設した河岸である。この河岸で鮭の水揚げがされていたのかもしれないね。

参考文献:取手市史、利根川図誌

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志村城

志村城志村城は、赤塚城の支城である。城址説明板によると、1458年に千葉自胤が赤塚城に入場した際に、一族の千葉隠岐守信胤がこの城を前衛拠点としたそうである。志村城は1524年に北条氏綱に攻められて落城した。
遺構についてだが、熊野神社が二の丸と言われており、境内の西側に堀跡が残っている。本丸は志村小学校になっており何も残っていないが、志村城がある高台は標高20mの要害の地となっており、当時言われた「守るに易く攻めるに難し堅城」の雰囲気を感じることができる。城址のふもとには城山公園があり、近くにある清水坂の旧名は「隠岐殿坂」といわれたそうだ。

場所:板橋区志村2丁目。都営地下鉄・志村三丁目から徒歩5分。
参考文献:日本城郭大系

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赤塚城

赤塚城赤塚城は板橋区の西高島平にある城址である。城主は武蔵千葉氏。日本城郭大系によると、下総の千葉氏総領家の相続争いに巻き込まれた嫡総家の千葉実胤・自胤兄弟が上杉氏の助けを受けてこの城に入城したのが始まりである。その後、兄弟は太田道灌軍の有力な武将として活動し、この地を治めていた豊島氏・赤塚氏を討ち、この地を支配したが、1590年に千葉氏は豊臣秀吉に滅ぼされ赤塚城は落城した。

場所:板橋区赤塚五丁目。都営地下鉄・西高島平駅から徒歩10分程度。
参考(引用)文献:日本城郭大系

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生実城(森川陣屋)

20070317_smallRIMG0023.jpg生実(おゆみ)城は、16世紀に原一族により築城されたのが始まりである。原氏は代々、北条、千葉の抗争の狭間で存続してきたが、戦国時代末期の小田原の役で、北条方に着いた時の城主の原胤栄氏が徳川勢の酒井家次に討たれ落城した。その後、寛永4年(1627年)、森川重俊がこの地を与えられ、生実神社の側に陣屋(森川陣屋)を置き、明治まで支配した。
遺構については、森川陣屋があった生実神社の南に堀跡と土塁が残り、境内には櫓台のような土盛が見られる。生実城址の遺構は、本城公園と呼ばれている主郭跡のみだ。

参考サイト:埋もれた古城

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取手市埋蔵文化財センターで、「第21回企画展「2006 発掘と発見 茨城県内遺跡の発掘速報展」開催中!

20070315_RIMG0013.jpg取手市吉田にある「埋蔵文化財センター」にて、第21回企画展「2006 発掘と発見 茨城県内遺跡の発掘速報展」が開催されています。茨城県内の2006年に行われた発掘調査内容が紹介され、取手市からは「神明遺跡」が紹介されるようですね。3月17日には、専門家の方による講義があるようですが、私はヤボ用があって、行くことはできません。残念。。。
埋蔵文化財センター

※告知ポスター
RIMG0012.jpg

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duckhouse

Author:duckhouse
私は取手市に住む地元とアントラーズを愛するものです。歴史にお城も好きだよ。

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